デンマーク・日本いろいろ 第43号
デンマークも看護・介護スタッフを輸入?
2023年07月
ちょうど今から一年前の昨年7月、デンマークの深刻な人手不足に関する記事を掲載しました(no.39、「深刻な人手不足をどう乗り切る?」)。そしてその数ヶ月後におこなわれた総選挙と、その結果誕生した3党大連立政権については、昨年12月のコラムで取り上げました(no.41、「デンマークはこれからどうなる?総選挙と史上まれに見る長期交渉から生まれた新政権」)。
この大連立政権(社会民主党+中道派穏健党+右派自由党)が発足してから半年が経ちましたが、新政権が足並みを揃えて、これからデンマークをどのように舵取りしていくのか、そして具体的にどのような政策を打ち出していくのか、残念ながら現段階では、明確な指針は示されていません。唯一新政権が強く打ち出し、またすべての野党からも支持されている新しい政策は、戦闘が未だ続いているウクライナへの軍事援助を、NATOとEU加盟国の一員として今後も継続していくことと、国防を大幅に強化することでしょう。
2024年〜2033年の国防費に関する与野党間の調停が6月下旬に結ばれましたが、これによると、今後10年間に、約2兆9000億円を国防費に充てることになります。これは、総人口594万人(2023年1月現在)の小国としてはとてつもない額で、デンマークの年国家予算の約1/5に相当します。また現在GDPに占める国防費率は1.37%ですが、これを今後数年間で、NATO基準の2%にまで引き上げなければなりません。
デンマークは、これまで長年にわたり、国防費を最小限にとどめ、その代わり社会福祉・教育・環境・医療分野などに多くの予算を投入してきました。しかしロシアによるウクライナ侵攻が勃発したことで、これまでの国策・優先順位を大きく見直さなければならなくなったのです。ただ高福祉・高負担の国で知られる高税国デンマークとしては、これ以上国民の税負担を増やすことは出来ませんし、日本のように、不足分を国債発行で補う政策は取らないため、限られた国家予算枠の中で何とかやりくりしなければなりません。これが、新政権の最大かつ最重要課題だといえるでしょう。
さて人手不足の話に戻ります。デンマークは、コロナ禍でも景気が大幅に落ち込むことなく、失業率も低く保ち(現在2.8%、これはデンマークではほぼ完全雇用に等しい)、エネルギー危機も今ではほぼ解消し、インフレ率も6月には2.5%にまで下がりました(昨年10月には10.1%にまで上昇)。つまり、現在のデンマーク経済は、非常に安定しており、景気が良い状態にあります。
それゆえに、どの業界でも人手不足問題が生じているわけですが、特に今問題視されているのは看護・介護職の人手不足で、毎日のようにメディアを騒がせています。中でも7月に入り、連立政権に加わっている穏健党(Moderaterne)から出された大胆な提案が賛否両論を呼んでいます。
まず、なぜこの分野の人手不足が中長期的に見て深刻なのかというと、今から10〜20年先に主力労働力となるはずの10代の若者人口があまり多くない反面、高齢者人口(特に介護の必要性が高い80歳以上の高齢者、2023年1月現在約30万人)が10年後に現在の約1.5倍に増加すると予測され、2030年には介護職が2万〜4万人不足するだろうといわれているためです。
穏健党から出された提案は、現在の高齢者福祉レベルを今後も維持するためには、国内労働力では絶対数が不足するため、早急に海外(例えばフィリピンやインドなどの国々)から看護・介護労働力を輸入すべきだというものです。勿論ここにはいくつかの条件が付いています。それは、@専門の資格取得者、Aデンマーク語の習得、Bデンマーク文化の習得、Cデンマーク式デジタル社会に十分対応できる知識と能力習得の4つで、これらを提携国内に設ける特別専門学校で学び、更にデンマークでも訓練を受けた上で、公的介護スタッフとして働くというシナリオです。
似たような提案は、すでに4年ほど前から、高齢者全国組織でNPOのエルドラ・セイエン(現在会員数約95万人)の事務局長ビャーネ・ハストロップ氏が、全国高齢者のパイプ役として政府に積極的にアプローチしていました。当時の社会民主党単独政権は、この提案にあまり乗り気ではありませんでした。そして連立政権に移行した今もなお、第一党である社会民主党は、その姿勢を崩していません。党首で首相でもあるメテ・フレデリクセン氏は、海外からの労働力に頼る前に、デンマークのより多くの若者が看護・介護職に魅力を感じるように、資格教育の質向上や労働条件の改善や一層のデジタル化・効率化をはかる努力をすべきだと語ります。
メテ・フレデリクセン首相と今後の高齢者政策を語り合う
エルドラセイエン事務局長ビャーネ・ハストロップ氏
出所:2023年7月8日付 日刊新聞 BERLINGSKE
専門家も新たな看護/介護士の可能性を唱える:「これは決して幻ではない」
記事の中の写真は、フィリピンの看護師たち
出所:2023年7月8日付 日刊紙 BERLINGSKE
「当然それも必要だが、それだけでは問題は解決しない。」という意見は、何人もの専門家(主に経済学者)や、高齢者介護を実際に運営している立場の地方自治体トップからも出ており、自治体の中には、政府の決定を待っていられないとして、すでに海外からの介護労働者受け入れ準備を始めているところもあるようです。
そんな中、在デンマークのフィリピン大使は、今注目されている看護・介護労働者をデンマークに送り出す案に「とても興味深い」とポジティブな姿勢を示し、「すでに何百人ものフィリピン人船員やIT専門職などがデンマークに来て働いていますから、次の大きな職種グループとして看護・介護スタッフが考えられるのではないでしょうか。アメリカ・イギリス・日本・ドイツ・ノルウェー・サウジアラビア等の国々では、フィリピン人看護・介護スタッフをすでに労働力として活用しています。」とも語りました。
デンマークの看護師協会のトップは、「リッチな先進国が、自分たちの問題解決のために、こぞって発展途上国から多くの労働力を輸入するという考え方は非倫理的ですし、実際フィリピンでは、すでに看護師が不足していて問題になっています。」と別の角度から難色を示しています。
長年公的サービスの一環として、かなり質の高いケアを提供してきたデンマークが、これまで通りの品質を市民に保障するためには、今からある程度思い切った対策を取る必要があると誰もが感じてはいますが、その解決の道を見出すことは、決して容易なことではないようです。秋に再開される国会では、熱い論議が交わされることになるでしょう。「待ったなし!どうする、連立内閣?」