コロナ感染が未だ終息するに至らず、ロシアによるウクライナ侵攻が長引き、エネルギー危機を迎え、インフレ問題が深刻化している中、デンマークでは、11月1日に総選挙が実施されました。そしてその結果を踏まえて新政権が誕生したのは、選挙からなんと6週間経過した12月14日のことでした。
今日は、デンマークが何故このような社会情勢下で総選挙を実施したのか、そしてその選挙結果はどうだったか、さらになぜ新政権誕生にこれほど時間を要したか、そしてその結果はどう出たかについてお伝えします。
<なぜ今総選挙なのか?>
コロナパンデミック時におけるデンマーク政府の迅速な対応については、すでにこのコラムで何度かお伝えしてきましたが、一つだけ取り上げなかったのは、この時期にデンマークで発生した「ミンク大量殺処分事件」です。日本を含む多くの海外メディアが、かなり感情的にスキャンダル事件として取り扱ったことや、その後この事件がデンマークの政治を大きく揺るがす要因となったため、決着が付くまで扱うことを控えていました。
非常に複雑な経緯を短く説明するのは難しいのですが、要点は次の通りです。
- コロナパンデミックのさなか、ワクチン接種も始まっていなかった2020年6月に、ユトランド半島の一ミンク農家でミンクのコロナ感染が発覚。連鎖反応でミンク変異株が生まれ、10月までに多数のミンク農家へ急速に拡大。国立血清学研究所は政府に警告を出し、段階的に感染ミンクの殺処分がおこなわれた。
- 11月上旬、首相は記者会見を開き、急速に拡大するミンクのコロナ感染は、人体や社会にもたらす悪影響が甚大だと判断し、国内の全ミンクを例外なく即刻殺処分することを決めて実行。全ミンク農家には、約6000万円の補償金が支給されることとなった。しかし数日後、この政治的決定が法的根拠なしになされたことが判明。
- 野党ブロックから強く非難された政府は、第三者ミンク委員会を設置し、真相究明調査が始まった。22年6月に発表された調査結果で、複数の官僚トップや首相に厳しい注意勧告が出されたが、法的根拠がないまま実施されたことを事前に知らされていなかった首相は免責となった。野党ブロックはこの結果を不服とし、首相に不信任案を突き付け、責任を裁判で審判することを要求。この時、政府と協力体制を敷いていた1党が、10月までに国会を解散し世論に問わなければ、首相不信任案に同意すると声明を発表。
- これにより社会民主党単独政権を支えていた協力政党の過半数議席確保が脅かされ、首相は10月半ばに国会を解散し、11月1日に総選挙を実施することを発表した。
- ミンク事件に加え、2つの右派政党(野党)で内部紛争が起き、ベテラン政治家数名が離党して新党を設立するなど、政党政治が動揺した。
<総選挙の結果は?>
そのような中でおこなわれた総選挙は、過去3年間コロナパンデミックで奮闘した社会民主党単独政権およびそれを支援したレッドブロック(左派政党)と、ミンク事件を深刻な問題として取り上げ、政権交代を要求したブルーブロック(右派政党)が真っ向から対立する形でおこなわれ、新党を含め14党で争われました。
選挙結果は、政権運営を任されてきた社会民主党が27.5%(50議席)で第一党を確保。これまでかなり強い影響力を持っていた右派3政党が大幅に議席を失い、設立したばかりの2政党が躍進し、内1党は中道政党として16議席を獲得して、第3政党となりました。これにより、レッドブロック90議席+ブルーブロック73議席+中道16議席=179議席という新しい構図が生まれました。
総選挙に対する国民の関心は非常に高く、投票率は84.2%(前回84.6%)でした。
そして国会議員の平均年齢は42.8歳で、年長者は75歳(70代は1名)、年少者は21歳(20代は14名)で、女性議員は43.5%と前回より約3%増えました。
女性首相メテ・フレデリクセン(45歳)は、圧倒的多数の個人票を獲得し、多くの国民から熱い信任を得たわけですが、選挙活動中から、今後は右派左派の枠を超えて中道連立内閣を作りたいという意向を示していました。そのため選挙結果も踏まえ、それを実現すべく、組閣交渉人という立場で作業に臨みました。(デンマークの組閣交渉に関するルールはここでは省略します。)
<政党トップたちによる交渉会議>
投票日から数日後、メテ首相は国会議席を獲得した12政党のトップを首相官邸に招いて、組閣交渉が始まりました。このプロセスには、メディアは一切立ち入ることが出来ず、当事者たちも経緯を外部に漏らすことを固く禁じられていたため、この密室交渉で何が話し合われたかは知る由もがなですが、想像するに、デンマークが現在抱えている課題だけでなく、今後どのような社会を目指すべきかというビジョンや、そのために必要な中長期政策や取り組み等について話し合われたのだと思います。
しかし交渉開始当初から、見解が大きく異なる多数党との交渉は、相当難航し、時間がかかるだろうと予測されていました。メテ首相は、全政党代表が一堂に会する会議のほかに、少数または単独政党との話し合いも織り交ぜながら交渉を進めて行きました。各党は自分たちの意見や主張を出し合い、他党との妥協点を探り合いながら、交渉人が目指す幅広い連立内閣に、自党がはたして参画できるかどうか模索したのです。
時間が経過して行くにしたがい、1党また1党と、複数政党が交渉の場から外れ、最後まで残ったのは、第1党の社会民主党(Socialdemokratiet)と右派で第2党の自由党(Venstre)と中道派で第3党に躍り出た穏健党(Moderaterne)でした。そして交渉開始から6週間経過した12月半ば、3党の党首が揃って記者会見を開き、新政権の道筋や交渉の経緯、さらに政権に加わることを決意した理由などを語り、同時に60ページに及ぶ政策要綱が公表されました。こうしてミンク事件に端を発した今回の総選挙は、誰もが実現を疑っていた対立政党との中道大連立政権発足という結果をもたらして、一応一件落着となりました。(政権発足数日前に、2党とも要求を撤回)このような大連立政権が発足するのは、デンマークでは約43年ぶりとのことです。
組閣交渉最終日の夜
交渉終了後、記者会見に向かう3党首
左:自由党首ヤコブ・エレマン・イェンセン
中央:社会民主党首メテ・フレデリクセン
右:穏健党首ラース・リュッケ・ラスムセン
<組閣はどうなる?>
メテ首相以外の閣僚配分はどうなるのか。人々の関心はここに集まりました。すでに3者間で煮詰まっていた組閣人事は、その晩候補者に伝えられ、翌朝全員が女王陛下に謁見して承認を得てはじめて大臣として正式に任命されました。
新大臣は首相を含めて23名。社民党11名、自由党7名、穏健党5名という配分で、自由党首は副首相兼国防相、穏健党首(2019年まで2期首相を務めた)は外相に起用されました。なお大臣の平均年齢は45.2歳(最年長は58歳、最年少は36歳)で、女性大臣は23名中8名で35%(前回7/22)を占めています。
<デンマークはこれからどうなる?>
日本の政治とのあまりの違いに驚かれ、「こんなこと、信じられない」と思われた方もいらっしゃるでしょう。ただ、今回デンマークで起きた総選挙から新政権発足までの一連の出来事と結果は、多くのデンマーク人にとっても大きな驚きであり、「本当にこれでうまく行くのだろうか?」と疑心暗鬼になっている人も少なからずいます。
ただ交渉に参加した各政党代表たちが、事後談話として口を揃えて語ったことは、「交渉開始当初は、具体的な政策討論ではなく、誰もが自由に発言できる和やかな雰囲気づくりが重視されたので、選挙戦時には想像できなかったような信頼感が生まれた。この信頼感が生まれたことで、政党間の権力争いではなく、どうやったら異なる見解を持つ政党が、それぞれの強みを活かしながら協力して、より良いデンマーク社会を構築できるかという視点での議論や対話が可能になった。」ということ。
これを聞いて著者が真っ先に思ったことは、「これぞまさしく、デンマークが150年以上の歳月をかけて熟成してきたデンマーク式デモクラシーの最たるケースだ。」ということです。そして同じようなことは、労使協定でも、学校の生徒会や生徒参加型の理事会でも、集合住宅の住民組合でも、ボランティア組織でも、デンマーク社会のあらゆるところでおこなわれています。相互信頼関係を基盤に、とことん対話を重ね、少数派の意見も組み入れながら合意点を模索していくプロセスそのものが、デンマーク式デモクラシーであり、「多数決ありき」のデモクラシーとは大きく異なります。
今回の難しいプロセスをここまで舵取りしてきた若き首相に敬意を示すとともに、「これから始まる難しい舵取りも頑張って!」とエールを送りたいと思います。新政権がこれから取り組んでいく諸改革については、順次お伝えしていくつもりです。
新政権で誕生した閣僚23名
※全ての写真は、日刊紙Berlingskeに掲載されたもの