教育
デンマークの卒業式
2021年8月
北国デンマークの夏は短い。それもあってか、デンマークでは、日照時間が一年で最も長く、また最も快適な季節である6月下旬から8月中旬までの約1ヶ月半が学校の夏休みに充てられています。
そして学校は、夏休み明けの8月に新学期を迎え、6月に学年末となるため、4月スタートの日本と異なり、夏休みは、次のステップに移行するまでの充電期間とみなされています。ですから、子どもたちが宿題に悩まされることはありません。
しかし、夏休み後にこれまでとは違う道に進むことになる9年生(日本の中3、一貫制義務教育である国民学校の最終学年)や中等教育ギムナジウム3年生(日本の高3)にとっては、6月はこれまでの学業総まとめの時期で、卒業試験という関門を通過しなければなりません。特にギムナジウム3年生は、この卒業試験に合格してはじめて「STUDENT」という資格をゲットでき、その成績結果が、大学をはじめとする高等教育進学への大きな鍵となるので、極めて重要な試験といえるでしょう。(これまで「デンマーク・日本いろいろ」コラムに以下の関連記事を掲載しています。@2017年4月8号「若者教育と就職」A同年8月9号「高等教育進学」B2018年8月15号「夏休みの過ごし方」
デンマークでは、日本に見られるような数字評価の成績は、義務教育の場合、卒業一年前の8年生になってはじめて付きます。これは、義務教育を修了する際、生徒たちがある一定の学力レベルまで到達しているかどうかを、本人はもとより、社会的にも見極める必要があるためです。小学校1年生から数字で成績が評価される日本では、このこと自体、とても考えられないことかもしれません。教育に対する考え方そのものが、日本とデンマークでは大きく異なることが、成績表にも顕著に表れているようです。
私には9年生の孫が二人いますが、学校生活のこと、卒業試験のこと、さらには将来のことなど、機会があればよく話をしてくれます。特にこの一年間は、コロナパンデミックにより、6年生以上の授業がほぼ8割方オンラインに切り替えられていたので、孫娘は、卒業試験を数か月後に控えていた頃、かなり不安を抱いていたようです。ただ、初孫(男子)の方は、クラスでの授業よりむしろオンライン授業の方が集中できて性に合っていたようで、卒業試験を気にするような素振りは全く見られませんでした。性格の違いなのでしょうが、孫娘だけでなく多くの9年生が不安を抱えていたようで、今年の卒業試験を通常通りの形式で実施するかどうかが国レベルで検討され、特例として、試験は国語(デンマーク語)、英語、数学の3科目のみとなりました。そして他の科目は、授業中に頻繁に実施された小テストや授業中の質疑応答態度などから出された一般評価で点数が付けられたようです。
念のため孫娘に聞き直したところ、卒業試験は、国語は口頭試験と3種類の筆記試験(小論文、書き取り、読解力)、英語は口頭試験のみ、数学は2種類の筆記試験だったとのこと。彼女は卒業試験形式が不明だったことに対する不安と、除外された科目の追い込み小テストへの不満はあったが、試験そのものへの不安はなかったと語ってくれました。
卒業試験も無事終了し、学年末を迎えた6月24日には、全国各地の国民学校とギムナジウムで卒業式がおこなわれました。デンマークでは、通常でも、卒業式は卒業学年生徒とその家族(一生徒max.4名)、担任教員と校長先生ぐらいが参加しておこなわれるのが一般的であるようですが、今年はコロナ禍であるため、式はクラスごとに実施されました。ラッキーなことに、私は、初孫の卒業式に家族枠で参加することが出来ましたが、じかに体験して、孫が大きく成長した姿に感動したと同時に、卒業式そのものにカルチャーショックを受けました。
日本とデンマークの教育が大きく異なることは、十分理解しているにもかかわらず、学業の節目である卒業式が、ここまで形式・内容ともに異なることへのショックです。具体的におおまかな式次第を書いてみますと、
  • 先生・ファミリーが着席している中、卒業生19名が校旗を先頭に入場。
    中央の壇上スクリーンには、入学当初のクラス写真が大きく映し出されている。
    (そうこの学校では、9年間クラス替えが一度もなかった!)
  • 全員起立して、大半のデンマーク人に馴染み深い国民唱歌
    (デンマークの夏を賛美する歌)を合唱。(校歌らしきものは、どうもなさそう。)
  • 校長先生のスピーチ
    (このクラスの生徒たちと校長先生の9年間の思い出、学校における人間としての学びの意義、将来に向けての希望など)
    校長先生のスピーチ
  • 卒業試験成績および学年総合成績表の授与
    (卒業証書たるものはなく、A4版の封筒に入れられた成績表を校長先生が生徒一人一人のファーストネームを呼んで手渡す。苗字は使用せず。)
    卒業成績表を授与された卒業生たち
  • 担任の先生からのスピーチ。
    クラスの生徒一人一人に、先生から見た生徒の特長をひとことずつ告げ、その後、詩を朗読。
    その詩は、「国語の成績は2(合格すれすれの点)だったけれど、ユーモアでクラスを盛り上げて12(最高点)をもらった。数学は2だったけれど、人の話をよく聞くことで12をもらった。・・・」というように、学科成績はたいしたことなくても、人間として成長したことを誇らしく思っている若者の気持ちを謳ったものでした。
  • スピーチの合間に「人生の木」・「うつくしい若者たち」・「友の歌」という題名のポップソングを全員で合唱。
    式初めの歌も含め、卒業式で歌った曲は、すべてクラス全員で話し合って決めたとのこと。
  • 最後に生徒代表のスピーチ
    彼の家族は、ベトナム戦争末期にデンマークに移住したベトナム人難民家族で、彼はデンマークで生まれ育った青年。その彼が、スピーチの中で、「実存哲学の父」と呼ばれている19世紀のデンマーク人哲学者ソーレン・キェルケゴール(Søren Kierkegaard,1813-1855)の人生観・価値観についても触れ、9年間にわたる学校生活が、自己を確立するために欠かせない大切な時間であったことなどを語っていました。まるで大人の講和を聞いているような堂々たるスピーチに感動したのは、私だけではなかったようです。会場からは大きな拍手が湧き起こり、ここで卒業式は終了しました。
    式終了後の記念撮影
後日、孫娘に、卒業式で受け取った成績表が持つ意味を尋ねました。彼女からは、「成績表に並んでいる数字自体は、特に重要な意味を持つものではないけれど、これは自分なりに頑張った一つの結果だから、その成果を出した自分を誇らしく思っている。」という言葉が返って来ました。
私が卒業式に参加した初孫は、夏休み中、ヨットのヤング・ヨーロッパ選手権に出場するため毎日トレーニングに励むかたわら、レストランでアルバイト。そして8月からは、高校に進学します。また孫娘の方は、近くのスーパーでアルバイトをして、家族旅行を楽しんでから、高校への進学は一年後に廻し、親元を離れてユトランド半島北部の町にある全寮制アフタースクール(16歳前後の若者が全国から集まり、一年間生活をともにしながらさまざまなことを学ぶ学校)に入学することを自ら選択しました。16歳の夏、二人の孫たちは、まだおぼろげにしか見えない将来に向かって、それぞれ異なる道を歩み出したようです。