デンマークでは、毎年6月半ば、3日間にわたり、ボーンホルム(Bornholm)という島に全国各地から数万人の人が集まり、「フォーク・ミーティング」(Folkemødet)が開催されます。日本語に訳せば「市民集会」ですが、デンマーク人はこれを「デモクラシーの祭典」と呼んでいます。それは、このイベントが、イデオロギーや社会的立場・年齢・性別などさまざまな違いを超えて、政治家(国会議員/EU議員/自治体議員)・NPO・利益団体・組合や多くの一般市民が一堂に会し、さまざまなテーマについて自由に話し合う場であるからです。
今年も首相をはじめとする大臣や議員も参加して、いくつもの仮設テントでスピーチや座談会やフリーディスカッションが繰り広げられました。これら多くのプログラムの中で、今年最も注目され、その後数日にわたって各メディアで大きく取り上げられたのは、防衛大臣のスピーチでした。
その概要は、「市民のみなさん、デンマークが現時点でなんらかの危機に直面しているというわけではありませんが、国際情勢や地球環境変化などさまざまな事象を鑑みると、デンマークにおいても、万一危機的状況が発生した場合に、3日間は各自が自力で何とかやっていけるようにしなければなりません。それは、食料・飲み水・医療品・暖房・衛生用品などの備蓄であり、また電気や熱源やスマホなどが利用できなくなった場合の対策です。これら自己防衛対策は、実際に使われることにならないかもしれませんが、万一それが現実味を帯びた場合、備えがあることが大切です。重要なのは、各自が自分や身近な家族を守ることで、最もニーズの高いところに関係当局が最大限の力を集中することが可能となるのです。」
デモクラシーの祭典の場で、このようなメッセージが防衛大臣から発信されたことに、多くのデンマーク市民は驚きましたが、と同時に、いまだ終わりの見えないロシアによるウクライナ侵攻やロシア関連のさまざまな不安要素を身近に感じているヨーロッパ諸国では、ここにきて、「いつ何が起きてもおかしくない。」という不安や危機感を抱く人が増え、デンマークもその例外ではありません。その不安には、直接的な戦争だけでなく、自国の利益のために他国に対しておこなうサイバー攻撃・フェイクニュース・スパイ/暗殺行為・基幹インフラ機能の攪乱などのサボタージュ(破壊行為)も含まれますし、もちろん地球環境の変化による自然災害(デンマークの場合は主に水害か)も含まれます。そのため、多くのデンマーク市民は、非常事態管理庁(Beredskabsstyrelsen、防衛省の管轄下)からこのタイミングで出された指針に従って、3日間の自己防衛対策に乗り出しました。
それから数日間、多くのスーパーには大型ペットボトル入り飲料水や各種缶詰製品を買い求める買い物客が急増したようです。ただ小売店でもそれを見越して前もって多めに仕入れていたこともあり、買い占めのようなパニック状態は起こりませんでした。
日刊新聞Berlingskeに掲載されたサバイバル専門家のお勧め常備品
<我が家の場合>
早速我が家でも、当局から発表されたリストをチェックしてみました。その結果は、世帯で必要なペットボトル入り飲料水(1人1日3リットルx3日x2人)(大いに不足!)、缶詰や乾燥食品(買い足しが必要!)、懐中電灯(OK)、バッテリー(OK)、パワーバンク(買い足しが必要)、小型ラジオ(ない)、キャンドル(十分あり)、現金(キャッシュレス社会で手持ちがない!)、トイレットペーパー等生活必需品(OKだが念のため買い足し)、医療品(OK)となり、不足しているものをこれから購入していかなければなりません。
我が家は、推奨されている備蓄品をあせって一気に揃えず、徐々に構築していけばよいというスタンスなのですが、いざという時にすぐ使えるように、備蓄品の収納スペースを今からしっかり確保しておく必要があります。そこで、手始めとして、食品や日常雑貨などをしまい込んでいた小さな貯蔵ルームを大々的に整理することにしました。2日間ほど掛かりましたが、なんとか備蓄品用コーナーを確保することができたので、いま少しずつ整備を始めているところです。
我が家の貯蔵ルームに設けた備蓄食料飲料水コーナー
<日本の場合>
大地震、台風や豪雨による水害や土砂くずれなど、自然災害が多発している日本では、非常時に備えての自己防衛対策が、大半の世帯でしっかり取られているものと推測しますが、時折来日する私のような海外居住者はそれが出来ないため、「万一滞在中に災害が発生したらどうしよう!」という一抹の不安を来日の度に感じています。
日本では、具体的にどのような備蓄品を各世帯が整えているか知りたくて、日本の省庁やネット通販のホームページで調べてみたところ、さすが災害大国日本だけあって、農林水産省のホームページには、ビジュアルで、とてもわかりやすく、ためになる備蓄食品ストックガイドが掲載されていますし、ネット通販のページには、多種多様な備蓄品セットやバラエティーに富むおいしそうな非常食品が並んでいました。
これだけ豊富な品揃えは、デンマークではとても考えられないので、次回来日の折に、いくつかの優れ商品を購入して持ち帰りたいと考えています。その一つは、非常時のトイレ問題に役立つグッズです。デンマークでは、非常事態管理庁の指針でもメディアでも、この問題をまったく取り上げておらず、今後注意喚起が必要だと思っています。
今回非常時の備蓄、自己防衛対策という視点で、デンマークと日本を比較してみて、繰り返し災害を経験してきた国と、経験してこなかった国の差を強く感じましたが、一つだけ気に掛ることがあります。それは、一般の日本人には、自然災害以外の戦争や事変といった有事に対する危機意識がどうも薄いのではないか、ということです。北朝鮮やロシアとの問題や中国と台湾の緊張関係など、日本周辺には政治的不安定要素が多々存在していることは誰もが承知するところですが、その割には、人々の日々の生活に危機感が見られないように見受けられます。もしかすると、日本政府やメディアが、敢えてこの問題に言及するのを避けているからかもしれませんが・・・。
<徴兵制度とNATO>
デンマークには、今からさかのぼること200年ほど前から徴兵制度が敷かれていますが、時代の変遷の中で、その内容はかなり変化してきました。そして現在の徴兵制度は、成人年齢(18歳)に達した男性を対象にしており、身体検査に合格した者の中から、国が求める人数をくじ引きで決めています。基本的に4か月間の徴兵義務が課せられていますが、軍配属以外にも、人命救助部隊や後進国での支援活動などに携わる場合もあり、任務内容で期間が多少異なります。
米ソ冷戦終了後、徴兵制が縮小される傾向が見られましたが、2022年にロシアによるウクライナ侵攻が勃発してからは、すでにお話ししたように、デンマークをはじめとするヨーロッパ諸国にロシアに対する警戒心が高まり、デンマークの現政府は、防衛強化・軍備拡張へと大きな方向転換の舵を切っており、その流れの中で、徴兵制度の強化も言及されるようになりました。まだ決定段階には至っていませんが、2026年からの導入を目途に、徴兵義務制度に成人年齢に達した女性も組み入れ、採用人数を大幅に増やすこと、そして兵役期間を現在の平均4か月から11か月に拡大することなどが提案されています。
男女平等という立場からも、女性を徴兵制度の対象に加えることに対しては、世論の強い反対は見られないようですが、期間が約3倍に伸びる案に関しては、まだ賛否両論があるようです。ちなみに、デンマークでは、1998年から若い女性の自由意志による徴兵制への参加が認められるようになって、その数は年々増加しており、現在は約1400名(全体の約27%)とのことです。また男女間で条件が全く同じ徴兵義務制度を既に導入している国は、ノルウェー・スウェーデンとオランダの3国で、デンマークが近々4か国目となる模様です。
男性兵士に混ざり、三つ編みやポニーテールの女性兵士の姿も
これまで中立国の立場を保ってきたフィンランドとスウェーデンが、ここにきてNATO加盟を希望し、昨年フィンランドが、そして今年スウェーデンが正式加盟しましたが、これをみても、ヨーロッパ諸国、中でも特にロシアと国境を接している国々や北欧諸国が、ロシアの動向にかなり神経を尖らせているかが読み取れると思います。