毎年12月になると、世界的に有名ないくつかのメディアが、その年に最も活躍した人物を発表する習わしがあります。タイム・マガジン(TIME)は、本業だけでなく社会的影響力においても今世界的に注目されている34歳の女性歌手テイラー・スウィフト(Taylor Swift)に的を当てました。そしてもう一つ、特に経済分野で知られているファイナンシャル・タイムズ(Financial Times)は、2023年に世界で最も大きな仕事を成し遂げたビジネスマンとして、デンマーク人ラース・フリューゴー・ヨーゲンセン(Lars Fruergaard Jørgensen)をWperson of the year”に選びました。
ノボノルディスク社長CEOラース・フリューゴー・ヨーゲンセン
後部はデンマークにある本社、右は会社のロゴ
多分大半の日本人は、この人の名前を聞いたことも、何をしている人かも知らないでしょう。実は、本国デンマークでも、彼が勤務している会社のことは、デンマーク最優秀企業の一つなので大半の人が知っていても、その社長(CEO)の名前まで答えられる人は、3割にも満たないかもしれません。
ではなぜそのような人が、世界で最も活躍したビジネスマンに選ばれたのでしょう。その答えは、彼が34年間勤務し、2017年以降CEOを務めているノボノルディスク社(Novo Nordisk)という製薬会社が、これまでの医療や治療概念を大きくくつがえす新薬を開発し、それが商業化され、今世界中でその効果が注目を集めているからです。
ノボノルディスク社は、1923年に設立されたNordisk Insulinlabolatorium社(通称ノルディスク社)と1925年に設立されたNovo Terapeutisk Laboratorium社(通称ノボ社)が、1989年に合併した会社で、糖尿病治療薬であるインスリン製造世界1の企業として知られています。ノボあるいはノボペン(患者が日常生活で簡単に自らインスリンを投与できる痛くない注射器)は、日本でも、医療関係者や糖尿病患者ならば聞き慣れた名前かもしれません。
ノボペン 内部のインスリンだけでなく注射器も社内で生産している
痛くない針は日本製
小国デンマークにしてみれば、これだけでも凄いことなのですが、ノボノルディスク社は、各種インスリン製剤に加え、成長ホルモン製剤や血友病治療に用いられる製剤なども製造しているほか、30年ほど前からは、「謎の腸内ホルモン」といわれてきた正式名GLP-1というホルモンを用いて、新しいタイプの糖尿病治療薬および肥満症治療薬の開発に取り組み、さまざまな困難を乗り越えて、近年その商品化に成功したのでした。
最新の糖尿病治療薬はオゼンピック(Ozempic)、そして肥満症治療薬はウェゴビー(Wegovy)と呼ばれるもので、どちらも医師の処方が必要な薬です。まだ市場に出たばかりで、市場価格が非常に高いという難点はあるものの、需要は会社が予測していた以上に高く、現在供給が追い付かない状況にあります。これらの製剤の売上げは、今では会社全体の約55%を占めるまでになっており、これにより、昨年の会社全体の売り上げは31%の伸びを示しました。そしてこの傾向は、今後も継続すると期待されています。
糖尿病新治療薬オゼンピック
肥満症治療薬ウェゴビー
これまで肥満症は、アメリカをはじめとする豊かな先進国に多い生活習慣病の一つと考えられて来ましたが、今ではその他の地域でも増加傾向が見られ、これが他の疾患を引き起こす要因の一つであることも判明されています。また肥満症は、単なる生活習慣から起きるものと片づけられず、遺伝子などの要因で発症することも多くの研究から明らかにされています。つまり、今後肥満症患者を投薬で治療できるようになれば、世界中の人びとの健康維持に大きく貢献することになるわけです。
ラース・フリューゴード・ヨーゲンセン社長CEOは、最近のメディアインタビューの中で、「これら新製剤の生産キャパシティーを早急に拡大し、価格低下をはかり、さらに今後は肥満症になるリスクの高い人たちへの予防対策にも力を注ぎたい。」と語りました。
ノボノルディスク社は、これまでも長年にわたり、糖尿病患者のQOL向上を目指して、各種タイプのインスリンと、それを服用しやすくするための医療機器(ノボペン)を提供すると同時に、独自の糖尿病専門病院での治療や生活指導をしてきました。「患者第一」は企業設立時からのモットーであり、これは、提供する製剤が時代とともに変化しても決して変わることはないと社長は語ります。
さらにノボノルディスク社は、外に向けては持続可能性・環境保護・地域社会への貢献、社内においては「エンパワーメント」(権限移譲=フラットな構造)、「インクルージョン」(個々の特性を生かす企業活動)、多様性(女性管理職の増強)、働きやすい労働環境などを重要テーマとして掲げており、これらすべてを盛り込んだ「企業の社会的責任」を、毎年の企業決算報告でも大きく取り上げています。
デンマークの最優秀企業という高評価を受けている所以は、売上業績が伸びたこと以上に、このような企業姿勢によるところが大きいと思われます。ちなみに現在の年間売上高は約3兆9000億円、世界各地の従業員総数は5万5千人。これをトヨタと比較すると、従業員数はトヨタが約6.8倍、年間売上高は約9.6倍です。
デンマークは、国内総生産(GDP)は世界37位ですが(日本4位)、一人当たりの国内総生産では世界9位でトップ10に数えられるので(日本37位)(IMF2023年調査)、豊かな国といえるでしょう。総人口が590万人で国内市場が小さいデンマークが豊かな国であり続けるためには、国際貿易で利益を得るしか道はありません。しかし世界の大企業と同じ土壌で競争してもなかなか敵いません。そこで選んだ道が「すきま産業」だったのです。
つまり、収益性があまり見込めないとして大企業が参入しないような特殊領域に着目し、その領域でトップを目指す、そのような企業がデンマークには多いように見受けられます。今でこそ「ヨーロッパで最も価値ある企業」とまでいわれるようになったノボノルディスク社も、やはりこの例にもれず、すき間産業の一つと考えられます。
現在デンマーク経済は順調な伸びを示していますが、その主な要因は、医薬品の輸出が非常に好調であるためだといわれており、次のような風刺画まで登場しました。
日刊新聞Berlingskeに掲載された風刺画
右側テキスト:黄金時代 デンマークの経済力は、特にノボノルディスク社の
莫大な利益によるもの
中央の男性は、デンマークの財務大臣